株式会社わ

Facebook
海外研修
OVERSEASTRAINING
海外研修

2024年度、今年も弊社幹部研修を卒業した修了生が910日~1020日までスリランカで海外研修に参加しました。

今年はJICA(日本国際協力機構)事務所や海外協力隊の現地視察なども盛り込まれ、世界で働く人の活動を目の当たりにした修了生たちは、海外文化に順応しながら使命感を持ってボランティアをする方々に深く感銘を受けたようです。

コロンボのスリジャヤワルダナ大学で日本語教育隊員として活動する本田早希子さんはこの日学生たちに日本の習字の授業を行っていました。

私たち日本人が当たり前に学生時代やった習字の授業ですが、学生たちにとっては真新しい文化に触れる授業。本田さんは座り方、筆の持ち方からまずは丁寧に説明していました。

学生たちは皆本田さんの話を一生懸命聞き、用意されたスライドを見た後、一生懸命にそして楽しみながら文字を書いていました。

その姿は日本の学生にも見せたい場面です。本田隊員の同期山本さんや塚本さんも積極的に授業ヘルプをされており、授業1つにもしっかり準備をされて丁寧に指導されているのが印象的でした。

最後に、学生さん一人一人の夢をお聞きしました。

歌手になりたい、看護師になりたい、など夢や目標はそれぞれでしたが、何より堂々と自身の夢を人前で言えることは日本の学生に欠けている部分です。

修了生たちは、学生たちが堂々と語る夢を感心しながら一緒にワクワクしながら聞いていたのが印象的です。

「一番好きな日本語は何ですか?」という質問に「平和」「夢」。

「日本の何が好きですか?」という質問には「日本食」「アニメ」「浴衣·着物」「扇子」などの答えが返ってきました。

海外の学生が日本人以上に日本のことが好きな姿を見て、私たち日本人が日本のことをどう思っているのか、を考えさせる機会となりました。

PCインストラクターとしてマハラガマの職業訓練センターで活動する西本春佳さんは、赴任9か月程度で現地シンハラ語で流ちょうに授業を行っています。

修了生が感動したのは教室に入った途端、全員が起立して挨拶をしてくれたことでした。突然の訪問者に対して日本の学生がそれをできるかと言われると、その光景はないです。我々塾でそういう指導が出来たら良いなぁと話しました。

インタビューの中では「世界はどこに行っても案外変わらない。同時に自分もどこに行っても変わらない」と語る西本さん。海外に出たからこそ改めて日本人であるアイデンティティに気づく経験をされているようでした。また授業においても「やり方」と同時にそれをどう使うのか、という「目的や概念」を伝えることにも工夫をしていたことが修了生の学びになったようです。

途中お菓子を持ってきてくれた人は西本さんの教え子で今はインターン生でした。「教え子がインターンで帰ってきてくれて嬉しい光景」そう語る西本さんの現地でのモチベーションが垣間見えた場面でした。

この研修ではスリランカの田舎生活を体験します。

都会ではなくスリランカらしさを残す田舎にホームステイし、一緒に手でご飯を食べ、自然の中でガスやお湯の出ない環境で過ごします。言葉は通じなくても笑顔と身振り手振りでコミュニケーションを取り、心と心で会話します。

気づきの能力や相手を察する能力、想いやる心や、相手のおもてなしに気づく能力、不便さを楽しむ解釈能力や文化の違いを理解する能力など、目的は沢山ありますが、私たち日本の教育を担う「先生」と呼ばれる立場の大人が率先して『世界を感じる』ことを目的としています。そして海外の教育現場を視察することで、日本の子供たちに教育をする。海外事情を知りながら、海外から見た日本を冷静に見ながら、今日本の教育に必要な要素に気づくことが大きな目的です。豊かさとは何か、不便さとは何か、人と人とはどう分かり合えるのか、そして経済や国や社会はどうあるべきか。多くの気づきを得た修了生が『日本の教育を変えよう』とまた今日も仕事での使命を果たしていくことでしょう。

1.不安な自分より大事なのは表現

そもそも日本人は受け入れてもらえるのだろうか?のけ者にされないであろうか?嫌なことされないであろうか?人生初海外で不安一杯だった僕にスリランカの人々はみな温かく、そして日本人はとても愛されているということ知った。

街を歩くと手を振ってくれるスリランカ人。それはホームステイ先に行ってもそうでした。言葉が通じなくても笑顔で一生懸命話しかけてくれる姿に私は嬉しく思った。同時にこんなに一生懸命話しかけてくれるのに、言葉が通じるか不安なことに意識がいきすぎてしまう姿を反省しました。言葉が通じるかどうかなどどうでもよく、それよりも相手が嬉しそうに話す姿勢にもっと嬉しさを表現すればいいだけのことだったのだ。

2.言葉が通じないからこそ大切だと感じたこと

言葉が通じないからこそリアクションやジェスチャーといった要素が大切であることを感じた。JICAボランティアの西本さんのお話にこんなことがあった。「言葉が通じなくても怒っている表情を見せるだけで怒っている様子を伝えているという言葉がある」深く共感した。ホームステイ先で、食べた料理が美味しかった時、大げさに美味しいリアクションをしてみたらステイ先の家族が全員嬉しそうにしていた。言葉は通じなくても相手にしっかりと自分自身の伝えたいことが伝わっていた。私自身もそれを見て嬉しかった。言葉が通じないからこそ表情こそがコミュニケーションの全てであった。そしてそれは伝わる。

3.スリランカの人から学んだこと·真似したいこと

スリランカの人から学んだことのひとつに「最大限相手のことをおもてなしする精神」がある。ホームステイ先でも沢山の料理を頂いた。そしてシーギリヤの農村体験で蓮の帽子を無料で頂いた。これら全て相手を最大限おもてなしする心があるからこそ出来ることだと感じた。喜ばせようとするために何が出来るか考えていないと出来ないこと。損得勘定ではない。見返りを求めるのでもない。そんな姿から上手くいった時はいつも相手のことを想って取り組んだ時だったことを思い出した。「これだけやってあげたから」という思考の欠片が有るとき、きっと物事は上手くいかない。そんな当たり前のことをスリランカの人はごく自然にやってのける。

4.異文化体験が最高!

スリランカの文化は日本と大きく異なる。シャワーは水しか出ない時もあり、何回も急に停電して復旧するまでに時間がかかる時もある。トイレで紙を流さないこともある。トイレ使う時にお金を取られることもある。ご飯は手で食べる。どれも初めての体感。

日本で良かったという話をしたいわけではない。自分自身が知らない文化と対面した時にどうなったかを知って今後に活かすことが大切である。私自身最初はこれらの文化に直面した時に驚きを隠せなかった。日本でシャワーが水しか出ないことはないし、ご飯を手で食べることもない。ただ私はこれらを全て受け入れすぐ適応することが出来た。ご飯も手で食べ、水しか出ないシャワーも普通に浴びた。停電しても「また停電したか」までに感じられるようになった。大事なことは新しいものに出くわした時に一旦『受け入れる』行動パターンが大切ではないだろうか。初めてのことは「楽しんでみる!」

「目が合ったら自然に笑顔で返すスリランカの人たち!」

スリランカに来て感じた、これは日本にない!ことです。

思い返すと日本は見えない壁があるように思います。

ここからここは自分の範囲だから入ってこないで。

ここは自分のテリトリー。暗黙の境界があるように感じます。

日本全体が他人と関わる文化や興味関心が希薄になっている現状を感じました。

日本に帰ってきてその差をとても感じ、スリランカに行かなかったら気づけなかったことかもしれません。目を合わさない。変な人には関わらない。困っていても誰かがやってくれる。そんな昭和の温かみがうらやましくもあります。

そんな日本でも自分にできること。

それは目があったとき、話すときは笑顔を徹底すること。お客さんや生徒を出迎えるときは笑顔であること。これを徹底しようと思います。

スリランカ人は『みんな家族』を体現している国。

だからこそ、コミュニケーションの第一歩は笑顔。  

「海外から日本を見たら···」

親日国であるスリランカでは日本人が来ると注目の的で、たくさんの視線を感じました。

考えてみると日本の技術力、戦後の復興、治安、時間通り、きれい、仕事に真摯、優しさ、など素晴らしいところがたくさんあると感じます。

そのどれも私たち日本の先人たちが創り上げてくれたものです。

同時に、その先人の日本人が築いた多くの産物を私たちは誇りを持って継続していかねばなりません。

若者世代は仕事に真摯に向き合えているのだろうか、ということに関しても、今や労働意欲ランキングでは先進国最下位という現状です。

労働意欲がなく仕事にありつけなくても(しなくても)、ある程度国に依存して生きていける日本。働きたい、仕事を頑張りたい、という想いが薄くなってきている現在の日本の姿に疑問が浮かんできます。

結果、頭がいい人や国のために働きたいという優秀な人が海外に出ていき、より国際競争力が乏しくなっています。

仕事に高い意欲を持ち、労働力として優秀な人を日本でどんどん輝かせて国を富ませることの重要性を強く感じました

そして改めて情熱や与えること、愛国心、感謝など人にとって大切なものを育んでいかなければ今後の国が衰退していくと感じます。

人材育成に力を入れている株式会社わで、自分も学び、保護者様、生徒さん、講師さんに対して勉強以外の大切な教育を広げていく必要があると感じます。

スリランカは先生と生徒の間に信頼関係や尊敬の念をとても感じられました。

教育という素晴らしいものに携わっている自分ですので、生徒さんや保護者様にもっと影響を与えられるような自分になっていきたいと強く感じました。

1.不便だからこそ気づけたこと

まず渡航前から一番不安に感じていたトイレに不便さを感じました。また停電してエアコンがすぐに停止する頻度も高く、インフラについても不便さを感じていました。それと同時に、それだけ日本が恵まれていて、しかもそれが当たり前のようになり、有り難みも感じられていないことが問題なのだと思いました。電気が不安定なら、冷蔵庫に備蓄せず、その日買ったものをその日中に調理して食べれば良い。スリランカの人たちは不便なら不便なりにその生活をしています。しかしそれを私たちに押し付けるのではなく、ステイ先の方はスプーンとフォークを出してくださり、「あなたはそれで食べていいよ」と言ってくださいました。トイレは、色んな国籍の人が来てもいいように、トイレットペーパーも用意されていました。他国に行く側がその他国に無理やり合わせるのではなく、受け入れる側が他国の文化や習慣を理解し、受け入れる姿も見られたのです。むしろ日本が他国に対する理解や知識が少なく対応が遅れているのだとも感じます。

2.日本とスリランカの教育現場で感じたこと

日本人が教えている学校に行ってみて感じたことは、スリランカの人々はお行儀もよく、また先生や目上の人に対して敬意があり、私たちが学校へ訪問した際にも一斉に席を立って挨拶してくださいました。先生と生徒との間での関係性が確立されていました。日本人の先生も、自由にすると限度を超えるため「何をしてはいけないか」をルールとして示し、躾にもこだわっているようでした。

3.ちょっとした付加価値の大切さ

体験ツアー中、蓮の葉で帽子やネックレスを作ってくれたり、帰りのトゥクトゥクでは、こちらを楽しませるためにあえて少々荒めの運転をしてくれたり、最後には咲いていた花を採って私たちにプレゼントしてくれたりしました。このちょっとした喜びが付加価値を生んでいるのだと思いました。塾でも同じ授業料をいただいている中で個別にカリキュラムを組む中で、付加価値としてプラスアルファになることができているだろうか、資料を発送する際には受け取った人が何か喜べるものは入れられているだろうか、と改めて考え直すきっかけとなりました。

4.きっと世界は分かり合える

資本主義の日本とは違って社会主義のスリランカでは頑張っても報われないと感じている人もいます。宗教の違いや民族の違いなどから今も世界各国で紛争があり、同じ国でも起きています。帰りの飛行機の中で私は地球儀を見ていました。言葉が理解できなくても地球という同じ惑星に存在している仲間なのに、ちょっとしたボタンの掛け違いにより分かち合いや分かり合いをしようとせず争いが起きてしまうのは非常に残念でもったいないことです。国や宗教や文化や考え方が違っても、お互いのいいところをシェアして交わる共通点を増やしていくことで、ゆくゆくは結果的に同じ社会を創っていけるのではないかと思いました。スリランカ人は、感謝と尊敬が心のベースにあって、人と人との関わり合いでどうにかなるのだと知りました。でもそれはスリランカ人だけではなく日本人でも誰でもがやろうと思えばできることなのだと思います。忘れないように日々意識して、今後の自分の会社、仕事、従業員の皆さん、日々の生活、家族、自分自身、と向き合っていきます。